ルチアーノ・スパレッティはうんざりしていた。アウェーのスタディオ・ジュゼッペ・メアッツァで行われたミラン戦に4-1で勝利し、セリエAでの優勝争いに望みをつないだ試合の後、彼に浴びせられた質問は「なぜチームのチームキャプテンであるトッティをスタディオ・ジュゼッペ・メアッツァのピッチに立たせなかったのか」というものばかりだったからだ。
「もう心底うんざりだ」
スパレッティはそう大きくため息をついた。そして、「ローマに戻ってくるべきではなかったのかもしれない」 と語った。
そもそも、スパレッティにとって最悪の事態というのは2005年にローマの監督に就任した当初からだったのかもしれない。当時、彼はかの有名なゼロトップシステムでトッティを「偽9番」として起用したのだ。その掟破りのコンバートが皮肉にも背番号10のトッティをセリエAの最多得点選手に変えたのである。
しかし2008年はトッティのケガも響き、悪い結果が続いてしまった。その時ローマの厳しいファンの批判にさらされたのは監督本人だけでなく家族もであった。
「私の息子は大変な苦労をしているんだ。学校でクラスメイトたちにからかわれている。私の二人の息子は怖がって家から出たがらない」
スパレッティは当時そう打ち明けていた。
しかし彼は2015-16年シーズンの途中で2度目の監督就任となりローマを復活させた。だがそんな彼にとっても、リーグ優勝と迫りつつあるトッティの引退の花道を飾るという2つを両立させることは簡単なことではなかった。
はっきり言ってトッティの全盛期が終わっていることはすでに明らかだった。だからスパレッティはトッティの起用を避けていたのだ。特に昨年2月のパレルモ戦での出来事は印象的であった。この日スパレッティは、トッティをスターティングメンバーに選んでいたのだが、イタリア放送協会(RAI)のインタビュー記事で「監督は自分をリスペクトしていない」との非難が明らかになったことにより彼をスタメンから外した。
試合当日、スパレッティはトッティをオフィスに呼び公然と監督批判したことを理由に試合には出さないと告げたそうだ。するとトッティは激怒し、そのまま荷物をまとめて帰宅した。
この出来事は結果的にローマのファンを二分させることとなった。その対立は激しさを増し、この件をめぐって2件の殴り合いの事件が起こったとの報道さえある。しかしファンの大半は最愛のキャプテンの肩をもった。試合日の午後、ローマの本拠地であるスタディオ・オリンピコには、「イオ・スト・コン・トッティ(私はトッティに味方する)」と書かれたフラッグが何本も掲げられていた。
この騒動の決着をどう着けたのかというと、ローマがもう1シーズントッティとの契約を延長し、(これは想定ではあるが)満了のあかつきには指揮官就任を約束することで事態を収めたのだ。
しかしこれが大きな誤りであった。トッティが本質的にクラブよりも強い力を持っていること、そして全盛期は過ぎ去ったのに厚遇されていることが明確になったのである。
予想された通り、今シーズン、トッティの立場はより強固になった。唯一の違いは当の本人が比較的おとなしくしていたことであったが、このことはかえってスパレッティにとっては悪い方向に作用してしまった。スパレッティはどんなインタビューを受けても必ずキャプテンの将来について質問され、答えなければならなくなったのである。
トッティに代わって発言する選手たちもいた。アレッサンドロ・デル・ピエロはトッティのおかれた状態を「悲しい」と表現し、ヴィンチェンツォ・イアクインタは、「元チームメイトのトッティは、もっと優遇されてしかるべきだ」と主張した。そのようなコメントが公に出るたびに、スパレッティは選手をコントロールできていないと批判にさらされていった。
それにはもううんざりしたのであろう。「私はトッティの経歴や伝説の守護者ではない。私はサッカー選手をコントロールする監督なのだ」
スパレッティはそう息を巻いた。
だが、トッティはローマにおいて単なるサッカー選手ではない。スタディオ・オリンピコでボールボーイをするところから始まり、ローマで最高峰の選手となった後もそのままチームを離れなかった、まさに生涯をローマに捧げた選手なのだ。いわば彼はローマ市民にとってチャンピオンであり、息子であり、生きた伝説なのである。
事実、かつてローマを率いたリュディ・ガルシアはローマには3人の王しか存在したことがないときっぱりと言い切っていた。ローマ教皇、マフィアのボスのリバネーゼ、そしてフランチェスコ・トッティの3人だ、と。
さらにローマの最大のライバルであるラツィオのサポーターでさえも、ローマのためにレアル・マドリードとバルセロナへの移籍を拒んだトッティを尊敬している。ラツィオのウルトラスは、ホームゲームであったインテル戦で、敬意を表す「最良の敵、フランチェスコよ、さようなら」と書かれた横断幕を掲げた。そしてその数日後には「あなたがクラブから尊敬されていないことは心から残念だ。我々ならあなたのような選手をあんな風に扱うことを決して許さなかっただろう」といった内容の言葉を並べた。
このようにローマ一筋のトッティは多くのファンから愛された。またファンたちも当たり前のようにトッティはローマの地でサッカー人生に美しい終止符を打つものと思っていた。
Getty Imagesしかし最終節であるジェノアとの試合の前に、彼は自身のSNSでローマに別れを告げることに加え、「新しい挑戦の準備はできている」というメッセージを残し、別のチームで現役を続ける可能性をほのめかしたのだ。トッティはローマ以外のところでは決してプレーしないと常に主張してきた。「僕はローマで生まれ、ローマで死ぬ。このチームとこの街を離れることは決してない」とまで言っていた。
この「新しい挑戦」が一体何なのかは明らかになっていないが、そんな彼からの謎めいたメッセージは再びあらゆる人たちの論争の的になってしまった。この試合はセリエAの2位を確保し、チャンピオンズリーグのグループステージに自動的に出場するための大事な一戦だったというのに、この発言のせいで試合の重要度をどこに置くべきかファンたちは混乱してしまっただろう。
21歳の時、トッティは「40歳でも現役でいる選手にはならないだろう」と言っていた。まさに40歳を迎えた今、もし彼が他のチームでのプレーを希望しているとすれば、それはローマ市民にとって“大きな約束を破られた”と言っても過言ではないくらい残念でならないことなのだ。
トッティの今後はいまだ不透明であるが、今やトッティのローマ退団は彼のローマに対する忠誠心への慶祝や尊敬といったポジティブな言葉だけでは語れないものとなってしまった。彼がローマ市民から愛されすぎているゆえ、失望と困惑にも包まれているのだ。
文=マーク・ドイル/Mark Doyle