2003-05-03-parma-hidetoshi-nakata(C)Getty Images

「2クラブの歴史に残るOBナカタ」…ペルージャと対戦のパルマが中田英寿氏を特集

16日に行われるセリエB第4節ペルージャ対パルマ戦を前に、ペルージャが両クラブで活躍した選手として元日本代表の中田英寿氏を特集。公式ウェブサイトに掲載した。なおイタリアメディア『スカイスポーツ』も「イタリアそしてワールドサッカーを魅了した2クラブのOBヒデトシ・ナカタ」などと綴り、同記事を紹介している。

■中田が足跡を残した2クラブが対戦

パルマは近年、財政難に苦しみ、2015年には破産によるペナルティで実質4部のセリエDへ降格していた。しかし2シーズン連続で昇格を勝ち取り、今シーズンからセリエBへ舞台を移した。このため、中田が過去に所属したパルマとペルージャの対戦が実現することとなった。同記事では「ペルージャ対パルマ…2クラブの歴史に残るOB、ヒデトシ・ナカタ」と題し、セリエAにおける中田のキャリアを紹介している。

■ミステリアスな存在からチームの支柱へ

1998年のフランスW杯での活躍後、中田はペルージャへ加入した。さらに過去に遡ると1994年にFW三浦知良が日本人選手として初めてセリエAに加入していたものの、当時は日本人選手のヨーロッパクラブへの移籍が頻繁ではなく、「驚き、そして少々疑いの目が混じりつつ、いわゆるミステリアスな存在として受け止められた」と振り返った。

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ペルージャでは、「ナカタはクーリ(スタジアム)で行われたデビュー戦でユヴェントスを相手にすぐにドッピエッタ(1試合2得点)を決めた」と、3-4で敗れたものの衝撃的なデビューであったことを伝えた。「ピッチで好パフォーマンスを見せていたこともあり、間もなく日本人選手はメディアの注目を集めるスターとなった」とし、「ペルージャの遠征先まで日本の記者やファンの集団が追いかける現象が当たり前のようになっていった」一方で、「ナカタは1年目に32試合に出場、10得点を挙げてグリフォーネ(ペルージャの愛称)の残留に貢献した」と称えた。

■日本人初のスクデットを呼び込むゴール

翌シーズンの冬、中田はフランチェスコ・トッティ氏らが在籍していた、強豪ローマへ移籍する。そこで「ナカタはペルージャ在籍時と変わらないパフォーマンスを見せ、シーズンの後半戦の15試合に出場3ゴールを挙げた」ものの、翌シーズンは当時の指揮官ファビオ・カペッロがトッティを重用したため、先発出場の機会を減らした。

「だがスクデットを懸けたトリノでのユヴェントスの一戦において、ローマは2点のリードを許していたが、途中出場の日本人選手がゴールを決めたおかげで同点に追いつくことができた」として、同年のスクデット獲得に大きな役割を担ったと振り返った。

翌シーズンはパルマに移籍し、2004年1月まで在籍した。パルマでは通算67試合に出場5得点を挙げており、「数は多くないが、重要な得点が多かった」と重要な場面での決定力を称えている。「コッパ・イタリア決勝のユヴェントス戦においてゴールを決めたが、パルマに優勝を導く貴重なゴールだった」と、2001-02シーズンのコッパ・イタリア制覇を例に挙げた。同シーズン終了後にはペレ氏が存命する最優秀サッカー選手をまとめた「FIFA100」にも選出されている。

パルマを退団した中田はプレミアリーグ・ボルトンへ移籍するまで、ボローニャおよびフィオレンティーナでプレーしたが、2006年のドイツ・ワールドカップを最後に「わずか29歳で現役引退を表明した」

現在については、「芸術やファッション、そして米から作る日本伝統の酒を紹介する“サケノミー”と呼ばれる活動をし、世界各国を飛び回っている」と締めくくった。

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