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「体が小さかったら技術をつければいい」。セレッソ大阪・北野颯太。その原点と10代でJ1を戦う現在地

3歳のころ、兄についていった
気づいたらボールを蹴っていた

 父と兄の影響で小学校に入る前から、小学校のクラブでプレーしたという。3歳からボールを蹴り始めた逸材は、18歳の今、セレッソ大阪のトップチームでプレーする。小菊昭雄監督に抜擢され、今季J1開幕戦でデビューを果たすと続く3月のルヴァンカップで公式戦初得点。17歳6カ月17日での得点は、南野拓実が持つクラブのJ1最年少得点記録を塗り替えた。

 「セレッソ大阪、アカデミーの力」。シリーズインタビュー第1回は北野颯太にフォーカスする。和歌山時代からアカデミーでの学び、南野拓実への思い、そして自身の将来像について語る。(聞き手:小田 尚史/取材日:7月21日)

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――サッカーを始めたきっかけを教えてください。

以下に続く

 もともと父がサッカーをやっていて、3歳上の兄もやっていました、兄が入っていた小学校のクラブチームについていったのがきっかけです。それが3歳くらいで、4、5歳くらいから自分もそのチームに入りました。

――そのクラブがアルテリーヴォ湯浅ですか?

 いえ、その前に、小学校にあったクラブチームに入りました。そこで小4までやって、兄が中学校に上がるタイミングで、アルテリーヴォ湯浅に移りました。

――小4から小6までアルテリーヴォ湯浅でプレーし、その後セレッソ大阪U-15に入ります。そのきっかけは?

 アルテリーヴォに移った小4の夏に和歌山の県大会があって、そこでセレッソのスクールのエリートクラスにスカウトされました。それがきっかけで、セレッソでもプレーすることになり、その流れでU-15に入ることになりました。

――アルテリーヴォ湯浅の活動と並行して?

 はい、そうです。エリートクラスでの活動は週1だったので。

――中学生になってC大阪U-15に入りますが、和歌山から通っていたのですか?

 いえ、引っ越しました。父だけ仕事の関係で和歌山に残り、兄もちょうど一緒のタイミングで大阪の高校に決まったので、母と3人で大阪に移りました。

――C大阪U-15で最初にプレーした時のことは覚えていますか?

 スピードはそんな遅いほうではなかったんですけど、フィジカルの差は大きかったと思います。周りはデカくて、自分はめっちゃ小さかったので。でも、その時のコーチから「小さかったら技術をつければいい」という指導を受けて、それが今につながっています。

――小学生年代から技術には長けていたのですか?

 パワー系ではなく、スピードや技術で勝負するタイプでしたね。技術はそれなりに自信がありました。

――セレッソ大阪U-18での思い出はありますか? 今も年代的にはU-18ですが。

 高1は、ひたすら走っていた記憶しかないですね。けど、それなりに試合も出させてもらって、(C大阪U-23チームで)J3にも出られたのは大きかったです。高2になり、風間(八宏)さんが(セレッソ大阪スポーツクラブ技術委員長として)来られて、サッカー観を変えられたというか、今までと全然違うところもありました。そのぶん、苦労した1年でもありましたが、成長にもつながりました。

――いろんな意味で取り組みは変わった?

 変わりましたね。トラップ一つひとつにもこだわりがあって「サッカーって、こんなに違うんや」と思いました。

――よく言われている「止める部分とつなぐ部分」は徹底していた?

 はい。練習でも、そればっかりやっていました。トラップでも、今までなら「止まっていた」って思っている感覚でも「止まってない」と言われたので。今までの「止まった」という概念を覆されたというか。(昨年は)サッカー人生としても大きな1年でした。

――ポジションは、ずっと攻撃的ですか?

 基本的にはそうですね。昨年、少しサイドバックをやった時期もありましたが。

――ループシュートなど、ちょっと遠くてもチャレンジする姿勢がありますよね?

 感覚的に「打てる」と思った時はビビらず打つようにしています。

――ゴールへ向かう意識はサッカーをやり始めた時から本能的に持っていたものですか?

 いろんな指導者と出会ったことも大きいですね。自分の特長は「ゴールに向かうプレー」だとは、どの指導者からも言われていました。あと、父から教わったことも影響していますね。(父は)中盤をやっていたと思うんですけど、結構サッカーに詳しくて、点を取る部分も教わりました。

――アカデミーで影響を受けた指導者はいますか?

 U-15だと、キンさん(金晃正監督)ですね。中1の時に見てもらいました。キンさんも現役時代は点取り屋で、厳しく指導されました。高2で再会し、その時はコーチとして指導してもらいました。

「お客さん」のつもりはない
大きなチャンスだと感じていた

 10代ではあるがプロである以上、物怖じなどしない。現在、飛び級でJ1の舞台を戦うなかでも「通用する部分はある」とはっきりと語る。

 同時にもちろん、年上のプロ選手たちの中で戦うからこそ気づく課題も認識している。さらには、初夏にU-19代表として戦った国際大会では「世界との差」もあらためて実感した。そのすべてが北野の成長の糧となっている。

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――今年はU-18ではなくトップチームでプレーしています。

 少しでも早くトップチームでプレーしたほうが成長にはつながりますし、トップに来ることができて良かったです。同年代の選手に比べて、プロのスピードを早く体感できているのは大きいかなと思います。

――プロ契約は、宮崎キャンプでアピールしたことが大きかったと思います。

 行くことが決まった次の日、一回なしになったんですよ。その時はめっちゃ落ち込んで。でも、その次の日にやっぱり行くことになって、「良かったー」と思って(笑)。行けていなかったら、今どうなっていたのかな、とは思います。運が良かったです。

――初日からミニゲームで得点するなどアピールしていました。

 「お客さん」のつもりはなかったですし、直感的に大きなチャンスだと感じていたので、それをモノにできたことは良かったですね。

――J1開幕戦でいきなりベンチ入りし、交代出場しました。尻込みするのではなく、チャンスという気持ちが大きかったですか?

 その時はもう、ワクワク感しかなかったです。チャンスっていうよりは、とにかく楽しもうと。1試合目なんで、楽しもうと思ってプレーしました。

――その後すぐ、ルヴァンカップの鹿島戦でプロ初ゴールも決めました。実際にJ1でプレーして、課題や通用するところなど、どう捉えていますか?

 通用する部分も多くあると思います。スピードも意外と通用しますし、若さを生かした素早い動きは相手も嫌がっていると感じています。でも、一つひとつのプレーの質や、高い強度の中でどれだけ違いを見せられるか、というところはまだ課題がある。そこは練習から意識して取り組んでいます。

――そうした中で、6月にはU-19日本代表として、フランスで国際大会(第48回モーリスレベロトーナメント、旧トゥーロン国際大会)にも出場されました。日本は6位で決勝トーナメントに進めませんでした。国際試合で何を感じましたか?

 世界との差がハッキリしたのかな、と思います。悔しい大会でした。フィジカルは、行く前から「すごいんやろうな」と思っていたので、実際、強かったり速かったりしても、分かっていたことなんですけど、コロンビアやアルゼンチンは、フィジカルももちろんありましたが、「サッカーがうまいな」ということを痛感しました。

 ちょこちょこするプレーは多分日本のほうがうまいと思うんですけど、そんなことをしなくても、ポジショニングやボールを失わない技術、そういう根本的なサッカーがうまいと思いました。

――差を体感したことで、U-20ワールドカップやパリ五輪など、今後の国際大会でもプレーしたいという欲は強くなったのでは?

 パリ五輪ももちろん目指していますが、まず、自分たちの世代でアジアを勝ち抜いて、U-20W杯の出場権を手にしたいと強く思いました。このチームでアジアを獲りたいです。U-17W杯がコロナの影響でなくなったことも大きいです。アジアの一次予選だけやったんですけど、最終予選もU-17W杯もなくなってしまって…。W杯を経験していないのはイヤなので、U-20W杯は出たいという思いがすごく強いです。

南野選手は意識するし目標でもある
でも、いつか追いついて追い抜きたい

 海外クラブでプレーするC大阪アカデミー出身の選手たちは多い。その理由はやはり、指導者が「世界で活躍するために」という目線を持って指導にあたっているからだ。北野自身もアカデミーの良さを「常に世界を見据えて指導してくれること」だと語る。

 現在、アカデミー出身で欧州の第一線で活躍するのはやはり南野拓実(モナコ)だろう。北野は今、南野が記録した「クラブ最年少記録」を更新する存在でもある。これも、途切れることなく続く「アカデミーの力」だと言える。

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――あらためて教えてください。サッカー選手としてプレーするうえでの原動力は何でしょうか?

 一番は、恩返しですね。いろんな人に出会って、支えてもらって、ここまで来ることができました。家族にも引っ越しなど迷惑もかけたので、そういう人たちのためにも、もっと上に行きたい思いは強いです。もちろん、サポーターの皆さんもそうですし、クラブにもたくさんお世話になったので、これまで関わってくださったすべての人が自分の原動力ですね。

――プロ契約が決まった時は、ご家族からも祝福されました?

 最初は電話で伝えたのですが、母はびっくりしていました(笑)。

――北野選手から見るセレッソアカデミーの良さを教えてください。

 常に世界を見据えて指導してくれることですね。最高の環境で最高の指導者のもと、いいライバルと世界を、高みを目指せるのは、このクラブのいいところだと思います。

――今までのサッカー人生の中で、一番記憶に残っている試合は?

 パっと浮かんだのは、プロ初ゴールを決めた鹿島戦ですね。それまでチャンスもあった中で決めることができなかった。あの試合で決められて良かったし、めっちゃ嬉しかったので。

――クラブの公式戦最年少記録となりました。

 率直に嬉しいです(笑)。

――その前の記録が南野拓実選手(モナコ)だったのですが、北野選手にとって、南野選手はどのような存在ですか?

 自然と意識はしています。目標でもあるし、このクラブを一番代表する選手と言ってもいい選手なので。でも、「いつか追いついて追い抜いてやろう」っていう気持ちもあります。

――J1のクラブ最年少ゴールも取れば南野選手を越えます。今年中に取りたいですか?

 取りたいですね。

――南野選手も北野選手の存在は認識されているようですが、面識や喋ったことはありますか?

 喋ったことはないです。でも、インスタをフォローしてくれたので「知ってくれてるんや」と思って嬉しかったです(笑)。

――何かメッセージみたいなのはあったんですか?

 いや、そこは別に(笑)。

――ご自身の未来について、「こういう選手になりたい」「こういうキャリアを重ねたい」という将来像はありますか?

 最終的にはA代表に選ばれること、W杯に出ること、世界のビッグクラブでプレーすること、それは目標としてあります。でも、まずはセレッソでしっかり結果を残すこと。海外には若いうちに行きたい思いはありますが、チームで結果も残していけば、海外からもオファーが来ると思うので、今はチームで活躍して、ステップアップできたらと思っています。

――プロを目指しているアカデミーの後輩に、どういう姿を見せたいですか?

 アカデミーの後輩に限らず、見てくれている人に愛される選手になりたい思いはあります。常に上を目指してやっている姿、泥臭いプレー、あとはやっぱり得点を見てほしいですね。

――そういう姿は子どもたちの目標にもなっていきますね。最後に、今の中学生、高校生にアドバイスを送るとするなら?

 サッカーを楽しむことが一番やと思います。自分も、順調にセレッソでステップアップしてきていますが、その中でもつらいことはいっぱいありました。どんな時でもサッカーを楽しむ気持ちを忘れないでプレーしてほしいと思います。やっぱり、初心に戻るというか、楽しむためにサッカーをやっていると思うので。自分もここから先、つらい状況があったとしても、サッカーを楽しむ気持ちは忘れずにやりたいと思います。

Profile
2004年8月13日生まれ。和歌山県有田市出身。ポジションはFW/MF。身長172cm体重60kg。U-15よりセレッソアカデミー育ち。2種登録で2022年2月19日の明治安田生命J1第1節・横浜F・マリノス戦で交代出場しJ1デビューを飾る。同月25日にプロ契約を結び、以降トップチームでプレーする。GOALグローバルが選出するNXGN候補にも選出された、世界が注目するアカデミー出身の若きアタッカー。

▶セレッソ大阪アカデミーの力:第2回西尾隆矢インタビューはこちら

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