20220627_Mito_Nxgn1(C)Getty images

【NXGN Jリーグ】アルビレックス新潟でレジェンドの薫陶を受ける三戸舜介。“感覚派CB”だったサッカー少年が成長に飢えるアタッカーへ/記念コラム

 5月中の明治安田生命J2リーグ6試合で5勝1敗、15得点5失点という圧倒的な戦績だったアルビレックス新潟。その全6試合に出場(5試合に先発)して2ゴール2アシストの結果を残したU-21日本代表MF三戸舜介は、右サイドを主戦場に確かなテクニックと打開力を見せつけて大きなインパクトを残した。

 『GOAL』では「NXGN Jリーグ」の5月度月間最優秀若手選手に三戸を選出。新潟を追うライターの野本桂子氏が、気鋭アタッカーの足跡やこれまで垣間見てきた素顔を綴っている。

■5月は2得点2アシストの活躍

20220627_Mito_Nxgn2(C)Getty images

 2021年、JFAアカデミー福島からアルビレックス新潟へ加入したサイドアタッカー、三戸舜介。プロ2年目の今季は、明治安田J2リーグ第23節終了時点で15試合に出場し、3得点2アシスト。そのうち5月に記録した2得点2アシストは、いずれも鮮烈なインパクトを残すシーンばかりだった。

以下に続く

 5月21日の第17節・横浜FC戦では、開始27秒でいきなり先制点を奪取。さらに6分、ゴール前でのハイテンポな崩しに絡み、同期でもある小見洋太のプロ初得点をアシストした。

 続く第18節・水戸戦でも1得点1アシスト。0-0で迎えた53分、自陣で相手の横パスをカットすると、勢いそのままにドリブルで独走してミドルシュートで先制点。85分には流れるようなワンツーで、本間至恩のビューティフルゴールをお膳立てした。

 三戸は2002年9月28日、山口県に生まれる。幼い頃は陸上教室に通っていたが、小学3年生から2つ年上の兄と共に地元の原サッカー少年団に入った。親に「早く帰ってきなさい」と怒られるほど、いつまでも外でボールを蹴っている子どもだったという。

 プロを意識するようになったのは小学5年生のころ。身長130cm台ながら、感覚でプレーしていたセンターバックだったそうだが、地域のトレセンメンバーにも選ばれるようになっていたこの時期、ふと目にしたテレビ番組が三戸の運命を変える。

 特集されていたのは、同じ山口県出身のサッカー選手・田中陽子。当時、INAC神戸でプレーしていた彼女が通っていたというJFAアカデミー福島が紹介されていた。「ここ、面白そうじゃない? 」。一緒に見ていた父親に言われたことがきっかけで、その門を叩くことになった。300名以上が受験した中、十数名に絞られた合格者の1人になることができた。

■「タツさん」からの的確な助言

20220627_Tatsuya_Tanaka_NXGN(C)Getty images

 JFAアカデミー福島U-15ではボランチが主戦場となった。中学3年生のときに出場した第32回日本クラブユースサッカー選手権(U-15)で、当時U-15日本代表監督だった有馬賢二氏の目に留まり、10月のフランス遠征代表メンバーに選ばれる。そこから年代別代表にコンスタントに招集されるようになった。アカデミー福島U-18では2列目の選手として躍動。19年のU-17ワールドカップ(W杯)プラジル大会にも出場した。

 同世代トップクラスの選手たちと戦う経験は、意識を高める上でも良い方向に作用した。「常に自分の中で、代表でのプレーを基準に持ちながらやっていました」。高校3年生になった20年9月、アルビレックス新潟の加入内定を勝ち取った。

 164cmと小柄だが、体も負けん気も強く、切れ味鋭いドリブルと、左右どちらの足からでも打てるパンチのあるシュートは魅力。ライン際で相手に進路を塞がれたと思いきや、脇の下から抜け出してシュートを打ったり、プレスをひょいとかわして仕掛けたりと、その俊敏性や小回りも生かしたプレーは大きな武器だ。ルーキーイヤーの21年は、25試合に出場(うち14試合で先発)し、2得点と結果を残す。

 プロ2年目となる今季は、背番号を「37」から「14」に変えてスタート。昨季、新潟で現役生活を終えた田中達也氏の番号を受け継いだ。その田中氏は今季からトップチームのアシスタントコーチに就任。三戸は全体練習後、田中氏の下で、他の若手選手らとシュート練習に励んでいる。過去、さまざまな指導者から吸収してきたものを「体で表現できていると思う」と言うが、目下、最も影響を受けているのは「タツさん」こと“田中コーチ”だ。

 1つの成果が出たのは、4月27日の第12節・いわてグルージャ盛岡戦。自陣からドリブルで運んで決めた豪快なミドルシュートは「思い切りGKに向かって打てば、お前だったらアウトにかかるから」という田中コーチのアドバイスを思い出し、右足を振り抜いて生まれたもの。「その通りになった」と手応えをつかむと、5月に2得点2アシストと結果を出した。

■J1へは「自分が連れていく」

20220627_Mito_Nxgn3_AFC(C)AFC

 その原動力の1つは、U-21日本代表への思いだ。今年3月と5月に行われたU-21日本代表候補合宿は、いずれも追加招集。「2回目の招集があったときに、『また追加か』と悔しかった。アジア選手権は意識していたので、結果を出さないと呼ばれない」と奮起した。

 2度目の合宿から戻った後の2試合目。5月21日の第17節・横浜FC戦で1得点1アシストし、3-0での完封勝利に貢献すると、その3日後となる24日に、念願のAFC U-23アジアカップへの招集が発表された。

 発表翌日の第18節・水戸戦でも1得点1アシスト。ただ前半はボールロストが続き「過去一番酷かった」という内容だった。しかしハーフタイムに「代表に選ばれて浮かれていたのかな。あんなプレーで代表に行くのは本当に恥ずかしい」と自分に矢印を向けて立て直し、3-0で連勝する流れを引き寄せた。「今まで調子が悪い試合では印象に残るプレーができなかった。今日、結果を残せたのは1つ良かったところだと思います」。三戸自身にとっても大きな意味のあるゴールになった。

 U-23アジア杯からは銅メダルを持ち帰り「パリ五輪に行きたい気持ちが強くなった」と語った。大会では左右のサイドハーフで持ち味を見せたが、グループステージ第3節・U-23タジキスタン代表戦で退場となり2試合出場停止に。3位決定戦となったU-23オーストラリア代表戦で復帰すると、積極的にシュートも狙い3本を放ったが、いずれも枠外。特にクロスバーを直撃した2本目は、最も得点に近づいた場面だった。

 帰国後、その場面について「タツさんからは、ああいうときは冷静に流し込む方がいいと教わっていた。でも実際の試合球やピッチの感覚から、自分は流し込むシュートが苦手だったので、あの場面でやるとゴロゴロになってキャッチされると思って、ああいう判断になっちゃった。でも決められなかったんで、何を言われてもしょうがないと思っています」と唇を噛み締めた。

 ただ、そこは負けず嫌いな三戸。さっそく田中コーチと居残りでシュート練習に取り組んだ。「オーストラリア戦と似たシーンを練習しました。悔しかったので、自分からやりたいと言いました」と明かした。

 また代表遠征中、三戸と右サイドハーフでポジションを争う松田詠太郎が1得点2アシスト、シマブク・カズヨシが1得点1アシストと、結果を残したことも刺激になっている。

「今年はJ1に行く。やっぱり得点とかアシストとか、目に見える結果でそこに貢献できるように。『自分が連れていく』くらいの勢いでやらないといけないなと思います」

 伸び盛りの19歳。悔しさを糧に成長し、ライバルとも切磋琢磨しながら、ここから、もっと大きくなる予感に満ちている。

取材・文=野本桂子

■プロフィール

MF 14 三戸 舜介 Shunsuke MITO
2002年9月28日生まれ。164cm/60kg。山口県出身。利き足:右。原サッカースポーツ少年団-JFAアカデミー福島U15-JFAアカデミー福島U18を経て2021年に新潟に加入。J2リーグ通算40試合5得点。(6月27日時点)

広告