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「最高のプレーをしても、それを超えたい。僕のDNAだ」レヴァンドフスキ:完璧なストライカーの完璧なシーズン

47試合、55ゴール。10アシスト。三冠達成。

パーフェクトなシーズンとしか言いようがない。ロベルト・レヴァンドフスキはバイエルン・ミュンヘンに大きな成功をもたらし、そして2020年の『Goal 50』タイトルを獲得することとなった。

世界で最も完璧な9番と評価されるレヴァンドフスキは昨シーズン、他の全ての選手を置き去りにした。このポーランド代表を、ドイツやヨーロッパ中のディフェンダーは止めることができなかった。

すでに獅子奮迅の大活躍にも関わらず、この32歳はまだ自身に成長の余地を感じているという。

今回レヴァンドフスキは、世界中のジャーナリストの投票により2019-20シーズンの最も活躍した男子選手に選出された。「僕の最大の夢がついに叶ったんだ」レヴァンドフスキは『Goal』の独占インタビューにこう答えている。

「今は最高の気分だ。こんな気持ちになったことはないよ。20年以上にも及んだハードワークが報われたんだからね」

「とても良い気分だ。このような賞は僕にとって大きな意味がある。もちろんフットボールはチームスポーツだが、個人タイトルは、自分が毎日打ち込んでいたことが報われたということになるからね」

「僕にとっては、どれだけのタイトルをチームで勝ち取れるかが大事なんだ。それが僕の追い求めていること。タイトルを勝ち取れなければ、どれだけゴールを奪ってもそれほど価値のあるものにはならないんだ」

「僕のゴールがタイトルを取る助けになれば、それが理想的だよ。でも、その点ではゴールだけが大事な役割を果たすわけではなく、アシストも重要だと言っておかないといけないね。アシストでもチームに勇気を与えられるんだ」

さらに彼はこう付け加えた。「いつだって成長の余地はある。フットボールを続けている限りは、ハングリーであり続けなくてはいけない。トップに立つのは難しい。でも、トップに君臨し続けるのはそれより遥かに難しいことなんだ。」

「振り返って自分が勝ち取ったことに思いを巡らすのは、キャリアを終えた後だよ」

情熱

レヴァンドフスキの両親はともにアスリートだった。父クシシュトフは2部リーグでプレーしたサッカー選手だっただけではなく、ポーランドの柔道王者にも輝いたことがある。母イヴォナは国内最高チームであるAZSワルシャワ所属のバレーボール選手だった。

成長の過程で他のスポーツにも取り組んだという。「フットボール以外の様々なスポーツにも挑戦した。とても才能があったと思うよ。だけど、フットボールに感じた以上の気持ちを持つには至らなかったんだ」

「フットボールとは違って、他のスポーツをやるとストレスを感じたり、ナーバスになることがあった。だから他のスポーツではトップレベルになることは絶対ないのだとはっきりしたんだ。そこで父に聞いたんだ。『なぜ僕はフットボールだけに打ち込めないんだ!』とね」

「父が言うには、まだ僕は他のスポーツが(フットボールの)役に立つことをわかっていないということだった。彼は僕にこう言った。『これが君のためになることに、いつか気がつくだろう』とね。実際その通りだったよ」

「柔軟性を上げるためにたくさん体操をしたことがあった。それが今の僕に活きている。だから父がそういう経験をさせてくれたことに感謝してもしきれないよ」

信念

夢を追い求める気持ちに反して、プロ契約を勝ち取るだけでもレヴァンドフスキにとっては難しいものとなった。

15歳のとき、代表チームの監督は彼が細すぎると招集を拒否。続いてレギア・ワルシャワは18歳になる前にレヴァンドフスキを放出することを決定したのだ。

「とても傷ついたよ。まだ僕は17歳だった。そのちょっと前に父を亡くしたんだ。ケガをして、次のシーズンに何をすることになるのか、決断を待っていたことを覚えているよ」

「突然、契約が切れる1週間か2週間前にレギアの秘書から話を受けた。クラブは夏に契約を延長しないということだった」

「僕は来シーズンこそはやってやろうと思っていたし、それができることをみんなに見せたいと思っていた。強い意思を持っていれば他人が何を言おうが関係ない。だから前を向いて、自分のやるべきことを続けたんだ。18歳になって、ジムでのワークアウトを増やして、筋肉を鍛え始めたんだ。それがよい助けになった」

レギアを離れた影響はレヴァンドフスキにとって大変大きく、その後自分の信じる道を進む決意をするに至ったのだった。

彼の決断とは、自身を証明するためにポーランド3部リーグに所属すること。ズニチュ・プルシュクフと契約し、所属初年度のシーズンで昇格に貢献。翌年は得点ランキング1位でシーズンを終えた。

レヴァンドフスキのゴールは見逃されなかった。レフ・ポズナンは彼を1部リーグに引き戻し、ヨーロッパリーグ(EL)の味を覚えさせた。2010年、ポズナンで18ゴールを飾りエクストラクラサ(ポーランド1部)の得点ランキング1位に立った。ブラックバーン・ローヴァーズやボルシア・ドルトムントを含む多数のヨーロッパのクラブが、彼の才能に気づき始める。

Young Robert Lewandowski Lech PoznanGetty Images

「そして、次のステップは海外挑戦だということは明らかだった。少なくともEL出場の野望を叶えられるクラブに絶対移籍したいと思っていた」ストライカーはさらに話を続ける。

「ドルトムントはその1年前、すでに僕にオファーを出してくれていた。でも、当時はまだ移籍するには早すぎると思ったんだ。2年経って準備ができたよ。ドルトムントにはユルゲン・クロップという説得力のある監督がいる若いチームで、僕に合ったシステムを敷いていたんだ」

ルールダービーで宿敵シャルケ相手に飾ったゴールによって、レヴァンドフスキはドルトムントのファンの心をすぐに掴んだ。しかし、レヴァンドフスキ自身は、ドイツ移籍以来数試合のパフォーマンスには満足していなかったという。

「ドルトムントでの最初の3カ月は難しいものだった。でも、そこから状況がよくなっていったことは今でも思い出すよ。チャンピオンズリーグ(CL)ではアウェーでマルセイユに負けた。当時、監督が僕をどう使いたいのか実は分かっていなかったんだ」

「試合の後、クロップと話をした。彼が僕に何を望んでいるのか率直に聞いたんだ。ほとんど2時間は話し合った。僕は自分の思っていることを彼に話し、彼も僕に期待することを話してくれた」

「あの会談のあと、すべてのことがうまくいき始めた。次の試合ではアウクスブルクに4-0で勝つことができた。僕はハットトリックを達成して、アシストも記録した」

Robert Lewandowski Jürgen Klopp Boussia Dortmundgetty

レヴァンドフスキはそれ以降、獅子奮迅の活躍を見せた。以降の3シーズンは毎年20得点以上を記録し、2回ブンデスリーガのタイトルを獲得。2011-12シーズンには国内2冠を達成した。2013年、ドルトムントはついにCL決勝戦に進出。しかし、ドイツ対決となった決勝戦ではバイエルンがトロフィーを掲げる結果となった。

ジグナル・イドゥナ・パルクで成し遂げられるすべてを達成した後、レヴァンドフスキは2014年にドルトムントからバイエルンへの移籍を選択。それ以降、彼は毎年マイスターシャーレを掲げている。個人の記録としても、ドルトムント最終年に初めて獲得した得点王のトロフィーを、今までに4つ加えるに至った。

DNA

lewandowski-champions(C)Getty Images

CLでは毎年敗退するにつれて、レヴァンドフスキとバイエルンはCL決勝という約束の地に立つことはできないのではないかと思われた。特に2019-20シーズン、ニコ・コヴァチ監督のもとで低迷したときは、CLのことなど考えられないほどであった。アイントラハト・フランクフルトに1-5で大敗したのち、コヴァチは解任を言い渡された。

そして、ハンジ・フリックの指揮を執ることになる。バイエルンの選手が振り返るには、それ以降のチームは歴史そのものだったという。

「うまく行っていなかったことに気がついたんだ。特にあの試合(フランクフルト戦)でそれがはっきり証明された」

「でも、すべてを取り戻すのに時間はあまり必要なかった。(フリック監督の下)2週間か3週間で状況はとてもよくなった。監督の要求を選手が理解し、自信が戻ってきたんだ。チーム一体になって成長し、ポジティブに進歩した。特にプレーのやり方の面でね。問題へうまく対応できるようになったんだ」

CL準々決勝では、スペインの雄バルセロナを8-2で粉砕。バイエルンの持つ実力をヨーロッパ、そして世界中にまざまざと見せつけた。彼らにとって大きな自信を手にするきっかけにもなった。フリックがチームに“冷酷無比”な態度を身に着けさせ、結果的にチームを3冠に導くことができたのだ。すでに伝説となったリスボンでの勝利について、レヴァンドフスキはこう語る。

「前半は特別な状況だった。沢山のゴールを決め、プレスも完璧だった。すぐに僕たちは勝利に突き進んでいるという気持ちになって、試合には絶対負けやしないと思ったんだ。ハンジは『この調子で続けなくてはいけない』と言っていた。バルセロナ戦ではそれが効果的だった。僕たちは常に高みを求め、前に進んでいきたいんだ」

「最高の前半をプレーしたけど、それを上回るプレーをしたかったんだ。それが僕たちのDNAさ。僕らの普段の練習を見ていれば気がつくはずだ」

ドイツの最も成功したクラブとして、勝利こそがバイエルン・ミュンヘンのDNAだ。CLと『Goal 50』のタイトルを獲得した今、バイエルンのDNAはレヴァンドフスキのDNAの一部となった。

だが、彼は成長をやめない。完璧なシーズンを終えた後でも、完璧なストライカーはさらに高みを求める。

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