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世界最高のストライカー、レヴァンドフスキが語るゴールよりも大事なもの/独占インタビュー

2020年度の『Goal 50』で頂点に立ち、栄冠を手にしたロベルト・レヴァンドフスキ。昨シーズンはバイエルン・ミュンヘンで公式戦47試合に出場し、55ゴールをマーク。まさに“ゴールマシーン”と呼ぶにふさわしい活躍を見せた。

世界最高のストライカーである、レヴァンドフスキが『Goal』の独占インタビューに応え、大きな成功を収めた昨季や、ポーランドでの幼少時代、そしてドルトムントでブレイクしたきっかけについて語った。

■ゴールよりも重要なこと

以下に続く
lewandowski-champions(C)Getty Images

――ロベルト、『Goal 50』のベストプレーヤー受賞おめでとうございます。UEFA最高選手賞に次いで2つ目の個人タイトルとなりましたね。

とてもありがたく思っているよ! とてもいい気分だし、僕にとって大きな意味のある栄誉だ。もちろん、フットボールはチームスポーツだ。けれど、こういう個人タイトルをもらうと、日々努力を続けていれば報われるのだということがよくわかるね。

――先日のチャンピオンズリーグ・グループステージ第3節ザルツブルク戦では、2ゴールをゲルト・ミュラーに捧げていましたね。なぜですか?

ゲルト・ミュラーはレジェンドだ。彼の誕生日の前日に悲しい記事を読んだんだ。彼は体調がよくないと奥さんが話していた。とても心が痛んだ。だから、僕は彼のことを考えた。あの2ゴールとチームの勝利を彼に捧げるのは僕にとって重要なことだったんだ。

――昨シーズンのあなたはミュラーがブンデスリーガで打ち立てた記録に追いつきそうでした。公式戦全体では「55」ものゴールを決めたわけですが、この数字はあなたにとってどんな意味を持っていますか?

FWがいなければチームが完璧に機能するのは難しいが、同時にFWも常にチームに助けられている。言わば”持ちつ持たれつ”の関係で、すべてが機能している必要がある。もちろん自分の記録はうれしいけれど、結局話題になるのは数字のことだけだ。本当に重要なのは別のことなんだよ。

――別のこととは、あなたにとって何を指すのでしょうか?

僕にとって重要なのは、チームがどれだけタイトルを取れるかということだ。僕が気にかけているのはそのことだけさ。チームがタイトルを取れなければ、あれだけのゴールを挙げても大した意味はないんだから。僕のゴールで、チームがタイトルを獲得するのが理想的だ。けれど、その点についてはもうひとつ言わなければならない。それは、ゴールを決めることだけでなくアシストも重要だということだね。それにはチームスピリッツが不可欠になる。

――アシストと言えば、少し前にトーマス・ミュラーが『DAZN』のインタビューで、「最近のロベルトはゴールを決めることだけでなく、アシストも楽しめるようになっている」と話していました。

僕は常により良いプレーができるよう努めている。けれど、これまでにもいくつかのアシストを決めたことがあるんだけど、その数字には大きな関心事にはならなかった。関心が集まるのは常にゴールの数だ。けれど、チームが成果を出すためには、ゴールへつなぐ動きやボールを持っていない時のプレーも同じように大きな意味を持っている。僕はその点で正当に評価されないことが多いんだ。

■父に感謝する少年時代

Robert Lewandowski, Bayern Munich, Bundesliga 2020-21Getty

――あなたのキャリアの最初の頃のことに話を移しましょうか。パルティザント・レスノで初めてトレーニングに参加した時のことを覚えていますか?

あの時のことはとてもよく覚えているよ。トレーニング場は今から見るととてもフットボールをやる場所とは思えないようなところだった。ピッチは真っ黒で、そのほとんどはちょっぴり芝が生えているだけだった。でも僕らは足元にボールがありさえすればそれでよかったんだ。雨が降ると、それはもう最高に楽しかったよ。完璧な芝生がなくても、濡れたボロボロのユニフォームで2時間車に揺られて家に帰らなければならなくても、そんなことはどうでもよかった。家に帰ってからも、さらに2時間、すっかり暗くなるまで庭の雨風の中でボールを蹴っていたよ。

――何があなたを子供の頃からそんなに駆り立てていたんですか?

僕はただ外に出て、自分の心を満たしてくれるものをやっていたかった。とにかく心がそれを求めていたんだ。それがフットボールだ。その情熱が僕を駆り立てていた。

――子供の頃に憧れていたクラブはありますか?

具体的にどこかに憧れていたわけじゃない。僕は小さな頃にバイエルンとマンチェスター・ユナイテッドのCL決勝戦(1998-99シーズン)を見たんだ。この試合は今でもすぐに頭に浮かんでくるよ。バイエルンにとってあまりいい試合じゃなかったのはわかっている。けれど、とにかくどっちも最高のチームだった。子供の時に夢を持つのは大事なことだ。最高のスタジアムで最高のチームと共に戦ってタイトルを取る、それがいつでも僕の夢だった。

――あなたのご両親は2人ともプロのアスリートでした(母親はバレーボール選手、父親は柔道家)。スポーツ一家の生活というのはどのようなものですか?

両親は引退後スポーツを教える仕事に就いて、母はそれまでと同じようにある学校に勤めていた。両親の経歴があるから、僕はフットボールのほかにもいろんなスポーツをやってみてたし、そのどれについても十分に才能を発揮できていた。けれど、その頃すでにフットボールに対して感じていたような情熱はどのスポーツに対しても感じることができなかった。フットボールをやっている時とちがってストレスを感じたりいらいらすることもあったし、絶対にトップレベルまで行けないのははっきりしていた。それで、僕は父に訊いたんだ。「どうしてフットボールだけやってちゃいけないの?」って。

――お父さんは何と答えましたか?

父は説明してくれたよ。「他のスポーツがなぜためになるのか、お前はまだわかっていない」ってね。「ただお前のことを思ってやらせていることがいつかわかるだろう」って言われたけど、父が正しかったんだと思う。僕は以前、体の可動域を広げるためにかなり体操をやったんだけど、今ではそれが役に立っている。だから、そんなふうに導いてくれたことに対して、父にはものすごく感謝しているよ。

――一方でユース時代に指導した監督たちの多くが、以前のあなたはとても華奢だったと言っています。

確かに僕はとても小さくて、とても痩せてもいた。17~18歳くらいまでは何度も痩せすぎだと言われたね。たとえばU-15の代表監督からは「残念だがとにかく君は細すぎて、代表チームではプレーできない」って言われたよ。

■「自分に何ができるか見せてやりたかった」

2020-11-16-lewandowski(C)Getty Images

――18歳になる前に、あなたはお気に入りのクラブだったレギア・ワルシャワ(当時、ポーランドのトップリーグであるエクストラクラサより一つ下のIリガのクラブだった)から追い出されました。

あれは大きな痛手だった。僕はまだ17歳で、その少し前に父を亡くしたばかりだった。僕は心に傷を受けて、次のシーズンに何が起こるか、その決定に期待をかけたことを覚えている。契約が切れる1~2週間前になって、突然レギアの秘書だった女性から、クラブはその夏の契約延長を望んでいないと告げられたんだ。

――少年の年頃でそんな目に遭ったらどうするのでしょう?

白状するけど、あの時点で僕を前向きな気分にさせてくれるようなことはなかったね。特にメンタルの面でそれは簡単なことじゃなかった。もちろん誰だってそんなことを言われたらつらいものだし、そんな言葉は聞きたくなかった。当然ながら、僕の考えは監督とは違っていた。

――そんな打撃からどうやって立ち直ったのでしょうか?

僕にとっては自分が心に感じていることが一番重要だった。僕は何が何でも結果を出して、自分の力をみんなに見せつけたいと思った。強い意志を持っていれば、他の人間が何を言おうと関係ない。だから、僕は前を見ながらさらに努力を続けたんだ。

――どんな努力をしたんですか?

18歳になるとますます筋力トレーニングに力を入れて、筋肉づくりに励むようになった。それがすごく役に立ったよ。

――レギアで過ごした後、IIIリガのズニチュ・プルシュクフへ移りましたね。これはどうしてですか?

まず言っておかないといけないのは、僕がレギアへ移った時には、生まれて初めて、そして生涯最後になるはずだが、他人の忠告に耳を貸したってことだ。それからは、自分のことは自分一人で決めて、もう外の意見に影響されるのはごめんだと思った。いくらか調子が持ち直した頃にズニチュ・プルシュクフがチャンスをくれて、僕はそのチャンスを活かすことに決めたんだ。

――後戻りの一歩でしたが、後になってこれが大正解だったことがわかりましたね。その2年後にはレフ・ポズナン(エクストラクラサ所属)へ移れたのですから。

レフは僕がプロ選手として所属した最初のクラブだった。トップリーグがどんなところなのか初めて学ぶことができたよ。1日目からポズナンへ移って正解だったとわかった。とてもいいチームで、UEFAカップのグループステージを突破したし、国内では2年後、僕がいる間にリーグ制覇を果たしたんだ。

■ドルトムントへのステップアップ

Robert Lewandowski Borussia Dortmund BVB 2011 12Getty Images

――次にあなたはドルトムントへ行くことになりました。なぜドルトムントを選んだんですか?

次の一歩を踏み出すのは国外になるだろうとわかっていた。それに、少なくともヨーロッパリーグ出場を目指しているようなクラブへ行きたかったんだ。ドルトムントからはすでに1年前にオファーがあったんだけど、その時点で移籍するのは僕にとって時期尚早だった。それから2年が経って、僕は準備ができたと感じた。クラブにはユルゲン・クロップという説得力のある監督がいて、若いチームメイトがそろっていて、僕にぴったりのプレーシステムをとっていた。そういう点でドルトムントを選んだんだよ。

――ですが、初めのうちはなかなかスタメンに入れませんでしたね。

最初の3か月はうまくいかなかった。けれど、やがて状況が好転した。そのきっかけは今でもよく覚えているよ。

――どんなふうだったんですか?

僕たちはチャンピオンズリーグのマルセイユとのアウェー戦を落とした。その時点では、監督が何を考えているのか、僕にはあまりよくわかっていなかった。試合の後で監督に話し合いを申し込んで、彼が僕に何を求めているのかストレートに訊いたんだ。2時間くらい話し合って、僕が気にかかっていることを彼にぶつけると、彼は僕に何を期待しているかを説明してくれた。この話し合いの後、何もかも前よりうまくいくようになったんだ。次の試合は僕たちが4-0でアウクスブルクに勝った。僕はハットトリックを達成した上にさらに1点を重ねたよ。

――ユルゲン・クロップと腹を割って話し合ったことが転機となったんですね。

初めのうち思ったほどうまくいかなかったのはどうしてなのか、急によくわかったんだ。僕にはその話し合いが必要だったんだよ。僕はとても若くて、生まれて初めて外国で暮らしていた。言葉もまだ完全には話せなかったから、同じように彼に言われたこともすべて理解できたわけじゃない。けれど、それはどうでもいいことで、状況をはっきりさせることが是非とも必要だったんだ。

――当時を思い返してみて、クロップからは具体的に何を求められたか覚えていますか?

もう言葉通りには覚えていない。それよりも、思っていることをはっきり伝え合うことが重要だったんだ。ちゃんと意見を聞いてもらっていない状況が嫌だったんだよ。

■「20年続けてきた努力が報われた」

Robert Lewandowski Bayern Munich 2020-21Getty Images

――あなたはチームでどんどん存在感を増していきましたね。ドルトムントと共に2冠を達成し、2013年のチャンピオンズリーグ決勝に臨むことになりました。ロンドンで行われたバイエルンとの一戦にはどんな思い出がありますか?

ブンデスリーガ最終節とチャンピオンズリーグの決勝戦の間に2週間時間があった。だから、体を休めて試合に備えることはできた。けれど、あの決勝戦ではちょっと疲れていたかもしれない。僕について言えば、65分の時点ですでに力が抜けていく感じがしたんだ。それでも、あの時の決勝戦ではいい経験ができたよ。

――どんな経験ですか?

試合が終わると、もっとうまくやれたかもしれない点についていろいろと腹が立つものだ。けれど、決勝戦という場ではその日の調子や勝ち負け両方に渡る経験が重要な意味を持つ。僕らが非常に若いチームだったのに対して、バイエルンはもっとたくさんの経験を積んでいた。1年前にもバイエルンは決勝に臨んでいたし、2010年もそうだ(※2012年はチェルシー、2010年はインテルに決勝で敗れていた)。その経験が勝敗を分けたと思う。

――あの時、バイエルンはクラブ史上初の3冠を達成しましたが、あなたは2回目の3冠達成に大きな役割を果たしました。PSGを破って勝利を決めた瞬間、何を思いましたか?

最大の夢が叶ったってことだね。あの瞬間の感じは、今までに一度も経験したことのない信じられないようなものだった。20年以上に渡って続けてきた努力が報われたことに気づくんだ。

――そんな喜びを経て、あまりインターバルを空けることなく、2020-21シーズンはすぐに開幕しました。

僕らのまだ上昇気流は続いているよ。3冠達成からシーズンスタートまであまり時間が空かなかったのがよかったね。僕らは今も“勝利のモード”の中にあるんだ。フットボールをやる限りはハングリーであり続けなければならない。頂上を極めるのは難しいことだが、頂上に留まることはもっと難しい。これから僕らはこれまで以上に力を出し切らなければならない。後ろを振り返って、手に入れたタイトルを喜んでいいのはキャリアを終える時だけさ。

■「僕らのDNA」と語った点

Barcelona Bayern UCL Coutinho LewandowskiGetty

――リスボンでのチャンピオンズリーグを語るなら、準々決勝でバルセロナを8-2と破った一戦を振り返るべきでしょう。あの時、エスタディオ・ダ・ルスでは何が起こったのでしょうか?

前半が特別だった。僕らはたくさんのゴールを奪い、完璧なプレッシャーをかけた。早い段階で、僕らは勝利に向かっていて、絶対に負けないだろうという予感がしたよ。

――前半が終了し、チームは浮かれてしまってもおかしくなかったと思いますが、ハーフタイムに監督はどんな言葉をかけたんですか?

ハンジ・フリックは今のテンポを維持するようにと言ってた。それがバルセロナに対してうまく功を奏したんだ。僕らはもっともっと、どんどん前へ出て行こうとした。前半に素晴らしいプレーを見せたけれど、後半はさらにそれを上回るようなプレーをしたいと思っていた。それが僕らのDNAなんだ。トレーニングメニューのすべてにそれが現れている。

――ですが、昨シーズンが始まった初めのうち、3冠を予感させるような気配はありませんでしたね。特に1-5でフランクフルトに敗れた後の状況はどうでしたか?

うまくいってないことには気づいていたよ。あの試合でそれが特にはっきりと現れたんだ。

――その後、すべてが好転したのはなぜですか?

理屈を言えば、僕らには落ち着きを取り戻すために何かが必要だったんだ。2~3週間経つと、すべてがうまくいくようになった。選手は監督の求めるものを理解して、自信を取り戻したんだ。チームのみんなが成長して、特にプレースタイルの点でポジティブな展開があった。今はもう、問題が生まれても以前よりうまく対処することができるよ。

――では最後に、昨シーズンに決めたゴールのうちどれが一番のお気に入りですか?

何と言ってもまずは、リスボン(CL)で僕らがみんなで決めたすべてのゴールだね。あとはブンデスリーガのシャルケ戦(第2節)で僕が入れた3つのゴールとDFBポカール決勝のレヴァークーゼン戦で決めたドッペルパックかな。

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