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決して「狭間の時代」ではない――ベンゼマとモドリッチのレアル・マドリー:受け継がれるマドリディスモ

予感

ここはレアル・マドリーの本拠地サンティアゴ・ベルナベウ。今、チャンピオンズリーグ準々決勝セカンドレグ、チェルシー戦が行われている最中だ。僕は8人あまり収容できる個室の記者席に座っている。個室の位置は、バックスタンドの1階席の最奥。2階席があまりに近くて、横はいいが縦の視界はずいぶん限られている。圧迫感すら覚える。

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スタジアムの全面改装のためか何なのか、チャンピオンズではノックアウトラウンド以降、ピッチを見下ろせるメインスタンド中段ではなく、ここに押し込まれることになった。目の前には窓など何も遮るものなく、感情をありのままに身振り手振りや口から表現するマドリーのサポーターたちが見える。一番手前の人の頭は、50センチメートルくらい先だ。

延長戦前半、そんな僕の目の前にいる十代半ばくらいの娘と一緒に観戦していた禿頭の中年男性が、こちらを振り返り自慢げな表情を浮かべてきた。……そんなことは分かっている。今、カリム・ベンゼマが決勝点を決めたこと、もっと言えばマドリーが勝つことは……。少し前にエデル・ミリトンが出場停止の中でナチョが負傷してDFラインが右からルーカス・バスケス、ダニ・カルバハル、ダヴィド・アラバ、マルセロになったことで、理性はチェルシーが勝つと言っていた。しかしながら心はもう、マドリーの勝ちを予感していたのだ。ルカ・モドリッチのアウトサイドクロスからロドリゴがゴールを決め、眼前の彼らが「コモ・ノ・テ・ボイ・ア・ケレール(どうして愛さずにいられようか)。シ・フイステ・カンペオン・ウナ・イ・オトラ・ベス(何度となく欧州王者になったのならば)」と高らかに歌ったときから、もうすでに。

ゲームに負け、勝負に勝つ

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試合後、口癖のようなレベルで「私たちは勝利に値した」と語るチャビは、マドリーについて「プレーしていないのに勝ってしまう。説明不可能だ」と言ったことがある。そう、マドリーはゲームで負けても、勝負に勝ってしまう。彼らはこれまでもずっとそうだったし、PSG戦もチェルシー戦もそうだった。PSG戦は2試合両方、チェルシー戦はセカンドレグがゲームで負けていた。現欧州王者チェルシーはファーストレグ、ゲームで負けたために勝負にも負けたが、マドリーはフットボールのエリート界で、とりわけバルセロナ界隈が認めたくない矛盾を成立させてしまえる。

チェルシーはゲームに勝つため、できる限りのことをしていた。ルベン・ロフタス=チークの起用によって中盤で優位性を生み出し(セカンドプレーも支配し、プレッシングでは一人に一人がついた)、マドリー陣地で一方的に試合を進めた。ファーストレグのフェデ・バルベルデの右ウィング起用に味を占めたマドリーは同じプレーシステムを採用したが、マルコス・アロンソがエル・アルコン(ファルコン、バルベルデの愛称)をずっと捕まえ続け、アントニオ・リュディガーがビルドアップの自由を得ていた。彼らは狙い通り、セットプレー含めてゲームに完勝して、3得点を決めてスコアをひっくり返した。

確信

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しかしこのマドリーも例に漏れず、マドリーはやはりマドリーだった。この日も前半7分にその名が叫ばれた故フアニートの言葉通り、「ベルナベウでの90分はとても長い」のである。

PSG戦でもそうだったが、チェルシーに圧倒されているときに観客がずっとチームを後押ししていたかと言えば、そうではなかった。ゲームでこれだけ完敗すれば、悲観的な感情が威勢をくじいてしまうのはしょうがない。だが決してあきらめることのない、“究極にうまい連中”こそがマドリーの選手たちなのである。彼らには、とりわけベンゼマとモドリッチは、いかにゲームで劣勢でもフットボーラーとしては自分たちの方が上であり、勝負には勝てるという矜持がある。

後半35分、ピッチに立ったばかりのフレッシュなエドゥアルド・カマヴィンガが激しくエンゴロ・カンテに寄せ、精度が狂った浮き球をアラバが頭で押し返して、これを拾ったマルセロがすかさずモドリッチにパス。背番号10は少しばかりの猶予があるスペースで、右足でボールをトラップしたと同時に前を向き、そのままアウトサイドでクロス(ベニテスがあまり使わないよう勧めたアウトサイドだ)。送った先にはモドリッチが「イホ(息子)』と呼ぶロドリゴが「パドレ(父さん)」を信じて走り込んでおり、右足ダイレクトでネットを揺らした。

こうして、ベルナベウに響いたのだ。「どうして愛さずにいられようか」のチャントが。もう、新しい魔法の夜は始まっていた。もう、マドリーが勝負に勝つ感覚しかなかった。延長戦前半6分、ヴィニシウスの右足クロスからベンゼマがヘディングシュートを決めて、その予感は現実のものとなる。その直後のことだった。僕から50センチメートル先の中年男性が、50メートル以上先で起こったことに両手を上げたり娘さんと抱き合ったり跳ね回ったり大歓喜して、それからこちらを振り向いたのは。

「おい見たか、これが俺たちのレアル・マドリーだ」

一言も発さぬまま、その表情は雄弁に物語っていた。

時代

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「クリスティアーノ・ロナウド退団後、キリアン・エンバペ入団前のチーム」「一つの時代と一つの時代の狭間にあるチーム」と思われてきた現在のマドリーだが、ベルナベウの観客はそんな彼らを誇っていた。……確かに、このマドリーを時代の狭間のチームとするのはもったいない。

今のマドリーには、バロンドール受賞からまったく衰えておらず、むしろ極限まで技術を研ぎ澄ませたモドリッチがいる。大舞台を含めて得点力を爆発させ、今度こそバロンドールを獲るかもしれないベンゼマがいる。前者が36歳、後者が34歳と年齢的な猶予なく「ベンゼマのマドリー」や「モドリッチのマドリー」と称されるチームは、歴史には深く刻まれないかもしれない。だが、かつてクリスティアーノ・ロナウドから「おいカリム、やってやろうぜ。相手は臆病者だ」など鼓舞されてきたベンゼマは自分がヴィニシウスにそう語りかける番となり、モドリッチは“92分48秒”のセルヒオ・ラモスの親友として対等以上に言い合える意志の強さを持つ。不撓不屈の逆転劇は、マドリディスモは、彼らの中にこそある。それは1950年代にアルフレド・ディ・ステファノがマドリーを欧州最高のクラブとしてから、ずっと受け継がれてきたもの。思い出すのは、バルセロナやインテルでプレーしたスペイン人唯一のバロンドール受賞者、ルイス・スアレスの言葉だ。

「1950~60年代からレアル・マドリーは一つの特徴を保ち続けている。それはフットボール的というよりも民族的、気質的なものとなる。おそらくバルサはこの長い時間ずっと、彼らよりもフットボールをうまくプレーしてきた。私たちは、少なくともマドリーに劣ることのない素晴らしい選手たちを擁してきたが……しかし彼らのような意志の強さは持ち得なかった。不可能を信じて、絶対に降伏することなく戦い抜き、最後の最後に勝利を手にしてしまう、あの意志の強さは」

「ディ・ステファノは亡くなる直前、私にこう言ったのさ。『おい、俺たちは絶対にあきらめない。体の中にそういうものがあり、それは長い歴史の中で脈々と受け継がれていった。なぜかは聞いてくれるなよ。しかしセルヒオとクリスティアーノは私たちに似ているんだ。ヘント、ピッリ、カマーチョ、ラウール……と、それは私たちの中にあるものなんだよ』」

圧迫感あった個室を抜け出して、ベルナベウの外まで出る。もうコートはいらないような春らしい陽気の中で、帰路に着く人々は意気揚々と「コモ・ノ・テ・ボイ・ア・ケレール」のチャントや、モドリッチやベンゼマの名前を叫び、見知らぬ人々と声を重ねていた。きっとそれは、チャントや選手の名前こそ違えど、ずっと昔から繰り返されてきた光景に違いない。

取材・文=江間慎一郎

追記:「Como no te voy a querer(コモ・ノ・テ・ボイ・ア・ケレール)」はメキシコのバンド、ロス・エストランボティコスが2008年に発表した楽曲で、まずUNAMプーマスがチャントとして歌い、それをマドリーが取り込んだと伝えられる。ただし、2008年以前にもこのメロディーと歌詞が存在していたとの指摘もあり、また元メキシコ代表FWウーゴ・サンチェス氏は『GOAL』とのインタビューで、2004年のマドリーとUNAMプーマスの親善試合ですでにベルナベウに伝わっていたとの見解を示している。

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