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永遠なるレアル・マドリー:過去にしがみつく人、未来を生きる人に刻ませた「今、この時」

今、この時

ここはレアル・マドリーの本拠地、サンティアゴ・ベルナベウ。今、目の前では2021-22シーズンのチャンピオンズリーグ(CL)準決勝2ndレグ、マンチェスター・シティ戦が行われており、ロドリゴが90~91分に2点を決めて2戦合計のスコアを5-5としたばかりだ。試合はこのまま延長戦に突入して、マドリーが勝つことになるのだろう。

バックスタンド1階客席のすぐ後方に設置された記者席で、僕は10歳くらいの金髪の少年が喜ぶ様を見つめていた。彼は父親と抱き合った後、目前の人の両拳を突き上げるポーズを真似して、「Yes,We can」のスペイン語にあたる「シ・セ・プエデ!」のチャントを皆と一緒に叫んでいた。毎回こうだし、「当たり前みたいなことなんでしょ」、といった具合に――。

とはいえ、この少年が目にしている光景は、年齢を重ねれば重ねるほど信じられない光景になる。マドリディスモ(マドリー主義)の根幹である不撓不屈の精神は確かに、これまでも劇的な逆転勝利を導いてきた。しかし、それでも、である。ベスト16で現在と未来の世界最高の選手を擁するパリ・サンジェルマン、ベスト8で昨季の欧州王者チェルシー、ベスト4で世界最高の監督率いるシティと対戦し、そのすべてで逆転勝利を収め、しかも段階的に逆転の難易度を引き上げて奇跡の域まで到達するなど……これは本当に現実なのだろうか。美化された思い出との比較にも勝る出来事が、今、目前で起こっているのだ。

以下に続く

例えば二十数年間マドリーを見続け、7回目、8回目、とりわけジネディーヌ・ジダンのボレーで9回目のCL優勝を果たしたマドリーこそ一番と考える僕は、ロドリゴのゴール直後にこうつぶやいている。

「今季が人生最高のシーズンでいいのかもしれない」

レアル・マドリーの公式書籍も手掛けるスペインの大物記者で、もちろんクラブの歴史にも精通するエンリケ・オルテゴが、試合後のラジオ番組で語った。

「決勝で何が起ころうとも、このマドリーはチャンピオンズとフットボールの歴史になる」

翌日のスペイン紙『マルカ』は、1面と見開きの試合レポートの見出しでこう記した。

「神よ。降臨なさって、どうか説明してくれませんか」「マドリーはこの世界の存在ではない」

その『マルカ』紙を僕が行きつけのバルのテーブルに広げると、それを覗き込んだマドリディスタのウェイトレスが興奮冷めやらぬ様子でこう語った。

「これがレアル・マドリーなのよ! ああ神様、昨日はこれまででも一番のマドリーだったわ!」

この夜のレアル・マドリーは、思い入れある過去にしがみついていたい人たちにも、より遠い未来まで生きる人たちにも、マドリーの「今、この時」を心に深く刻ませたのだった。

90分

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2ndレグのマドリーは、0-5や0-6で負けていてもおかしくなかった1stレグと比べて、プレッシングとトランジションを主にそのパフォーマンスは改善されていた。だが、やはりペップ率いるシティのプレーを完全にコントロールすることはできず、ケヴィン・デ・ブライネとベルナルド・シウバにポジショニングで優位に立たれる場面が多々あると、73分にベルナルド・シウバにまさにその優位性を生かし切られて、リヤオ・マフレズに2戦合計3-5とされるゴールを許してしまった。

先制したシティはここから90分までの15分間、この試合で最も研ぎ澄まされたプレーを披露してマドリーゴールに何度も襲いかかる。だがジャック・グーリッシュのシュート2本をフェルラン・メンディがゴールライン上で、ティボー・クルトワが目一杯伸ばした片足で防ぐと、ここから流れが一変。時計の針は、まもなく90分を回ろうとしていた。それなのに、ほかのチームならば2点ビハインドは苦痛でしかないはずなのに、マドリーの選手たちはまるでここから90分の試合が始まるような表情を浮かべて、シティの守備を突き破っている。

淡々とクロス攻撃に徹したマドリーはまず90分、エドゥアルド・カマヴィンガのクロスをファーのカリム・ベンゼマが左足ダイレクトで中央に折り返し、そこに走り込んできたロドリゴが右足でボールを枠内に押し込み1点目。その1分後、ロドリゴが今度はダニ・カルバハルのクロスにエリア内中央で飛び上がり、両足を広げながら思い切り体を捻らせるヘディングシュートで2点目を決めた。クロス、パス、走り込み、そしてフィニッシュと、精度&タイミングはこれ以上ないほどに完璧。マドリーはたった2分間で、シティの針の穴ほどの慢心に糸を通す精神力と技術を見せつけたのだ。

「シ・セ・プエデ!」「コモ・ノ・テ・ボイ・ア・ケレール(どうして愛さずにいられようか)?」「アシ! アシ! アシ! アシ・ガナ・エル・マドリー(マドリーはこう勝つ)!」といったチャントが何度となく叫ばれるベルナベウ。こうなってしまえば、過去2試合同様にマドリーが勝つ感覚しかない。その通りに延長前半5分、ベンゼマが自ら獲得したPKを大きな深呼吸の後に決め切って、予感は現実のものとなった。あの少年も、彼の父親も、周囲のサポーターも、全世代が今、この時にベルナベウで起こっていることに歓喜していた。クリスティアーノ・ロナウドが退団した後、キリアン・エンバペが入団する前の過渡期であったはずのレアル・マドリーはもう、永遠のレアル・マドリーとなっていた。

永遠なるレアル・マドリー

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3回も劇的逆転劇が続けば、もはや運と定義することはできない。ほかのチームと同じ論理や戦術的物差しで、このマドリーを測定することは不可能だ。

何か記すことがあるとすれば、今のチームは「過去から脈々と受け継がれてきたものを極限化した存在」ということだろうか。受け継がれてきたもの、それはとびきりうまい選手たちが勝利以外の結果を拒絶して、扉を何度も何度も執拗に叩き続けること。チャンピオンズカップ5連覇を果たしてレアル・マドリーの現在の地位を確立した故アルフレド・ディ・ステファノは、生前に「俺たちは絶対にあきらめない。なぜかは聞いてくれるなよ。しかし、それは私たちの中にあるものなんだよ」と語っていたそうだが、その言葉はまったくの真実のように思える。

バロンドール受賞者ルカ・モドリッチ、今季受賞の可能性が高いベンゼマと突出した力を持つ選手2人は、クリスティアーノ・ロナウドとセルヒオ・ラモスの名前が先行していたCLを5年で4回優勝したチームの一員だった。彼ら2人以外にもマドリディスモを受け継いだ、劇的な逆転勝利を経験してきた選手たちがチーム内には存在しており、その主義と経験はチェルシー戦でモドリッチ、シティ戦でベンゼマのアシストからゴールを決めたロドリゴら若手にも受け継がれ始めている。彼らは身をもって知っているのだ。「マドリーはこう勝つ」ことを。こうやって勝てることを。

側から見たら、あまりに真っ直ぐ過ぎる狂気じみた主義かもしれない。しかし、だからこそ彼らはどこよりもタイトルを獲得してきたのだろう。自分たちこそが真に選ばれた選手たちと信じて止まないために。自分たちこそが一番強いクラブのサポーターと信じて止まないために。彼らはどこまでも敗戦を認めない。「バモス・レアル(行くぞレアル)! アスタ・フィナル(最後まで)!」の韻を踏んだチャントは選手たちへの励ましだとか一矢を報いるためのものではなく、最後には絶対に勝つという予告である。そして今のマドリーほどに、そのことを体現しているチームはないのだ。

試合後もベルナベウはお祭り騒ぎで、チームとサポーターの温かな交感はしばらく続いた。選手たちはハーフウェーライン付近から南スタンドのゴールに向かって一斉に走って滑り込み、またも大きな喝采がスタジアムに響く。あの少年はそんな光景を嬉々として見続け、それから父親に手を引かれて出口へと向かっていった。

彼が奇跡の逆転劇ラッシュを再び経験する日はやって来るのだろうか。正直あり得そうもない。それでも、マドリーの決してあきらめない意思が、そんなことすら起こせるほど強いものであることを彼は知っている。僕たちは、知っている。

このレアル・マドリーは、永遠なのだから。

取材・文=江間慎一郎(スペイン在住ジャーナリスト)

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