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【ナビ・ケイタの物語】家族、友人、挫折と夢…アフリカの路上から世界に羽ばたくまで

ナビ・ケイタ。10歳。

場所はギニアの首都コナクリの近くにあるコレヤという街のストリート。

ピッチはない。ゴールはない。サッカーボールもない。あるのは何の変哲もない街角と、普段は別の目的で使われている“ボールと呼ばれるモノ”、そして“ゴールと言われる石ころ”だけだ。もちろん、スパイクはない。それどころか、靴すら履いていない。

以下に続く

そんな環境の中で、ケイタは育った。

裸足でボールを蹴り、鋭いターンで2人のマーカーをかわし、敵陣へと突進する。着ているのはおさがりのユニフォームだ。後ろから引っ張られても、動じるどころか、さらにスピードに乗っていく。

相手を置き去りにし、スペースを見つけて“ボールと呼ばれるモノ”を“ゴールと言われる石”の間に蹴り込む。ゴールが決まると、ケイタ少年は喜びを爆発させる。その横を、当たり前のように車が通り過ぎていく。

「これが普通のことだったんだ」

『Goal 50』への選出に伴って行ったインタビューで、サッカー漬けだった少年時代を振り返ってくれた。

「僕たちは広いスペースがあればどこでだってプレーしてたんだ。一番多いのは路上だった。だから車を避けながらプレーしないといけなかったんだ! 何度もぶつかったよ。でも、場所を失いたくなかったからそこでプレーを続けたんだ。僕とボールを切り離せるものはなかったし、ストリートで多くのことを学んだよ。スパイクは持っていなかったから、僕たちは裸足でボールを蹴っていた。たまに履いたとしても、靴はボロボロだったな。もらったサッカーのシャツは宝物だった」

「僕は特に小柄だったから、すべてのことと戦わなくちゃいけなかった。プレーするチャンスを作ること、ボールを奪うこと、周囲からリスペクトを得ること……。だから、車なんかじゃ僕を止められなかったんだ。どこであっても攻撃的なプレーをしていた。それは僕のポジションではとても大切なことなんだ。今の自分にとって大切なことを、僕はストリートで学んだんだ」

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■家族を支えていくという決意

ケイタは歩き始めるや否や、あらゆるものを蹴って母のミリアム・カマラを困らせたという。

「母は僕に言うんだ。『テーブルから落ちてきたものは水のボトルだろうが、オレンジだろうが、何でもドリブルしてしまった』ってね」

彼は笑いながら続ける。

「床の上にあるものなら、なんでも蹴ったんだって。それが楽しかったんだろうね。母がどこに連れ出しても、僕はそれを繰り返したそうだよ」

一方、父親のセコー・コイタは、息子の運命はそれ以前から決まっていたと考えている。

「父さんが言うには、僕は赤ちゃんの時からボールが大好きだったんだって。見て、触るのが好きだったみたいだ。いつもそばに置いておきたがっていたみたいだよ」

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両親は、息子がサッカー選手の道を歩みたがることを「避けられない」と感じていた。しかし、何度も別の道を進むよう促し、説得したという。「勉強してほしがっていたんだ」と、ケイタは当時を振り返る。

「二人とも、教育こそが一番大切で安定をもたらすものだって思っていた。でも僕にはサッカーしかなかったんだ。両親は何度も何度も勉強するように言っていたけど、頭と心がどこに向いているかを知ることになった。地域の誰もが『ナビがコナクリで一番の選手だ』って言うようになって、徐々に二人とも僕が特別な才能を持っているって思うようになった。それからは、僕の夢を全力で応援してくれるようになったよ」

実際、12歳の頃には、地元のスカウトから「いずれヨーロッパに行くべきだ」とアドバイスを受けるほどになっていた。

それから少しずつ……しかしながら確実に、若きナビ少年はヨーロッパを意識するようになった。

「(12歳の段階では)そんな大きなステップを踏む気持ちは持てなかった。でもそれから2年後、僕はリーグ・アンやチャンピオンズリーグ、それにプレミアリーグをテレビで見るようになった。そしてあのレベルの舞台でプレーしたいって思うようになったんだ」

「そのためにはヨーロッパで挑戦しないといけなかった。だから、サッカー選手になることを決意したんだ。ただ試合が好きなだけじゃなくて、『サッカー選手になって家族を支えていくんだ』ってね」

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■プロのサッカーという“未知との遭遇”

16歳の頃、熱狂と不確かな見通しを胸に、彼はトライアルを受けにフランスへと渡った。

「両親はとても心配していたよ。僕をそんな遠くに行かせたくないと思っていたし、新しい環境で僕がうまくやれるか不安がっていたんだ。実際、想像していたよりずっと難しい状況だった。言葉以外のすべてが違っていたからね」

ケイタはコナクリと西ヨーロッパを行き来する生活を過ごした。簡単な日々ではなかった。例えばフランスのロリアンで受けた周囲からの拒絶は、差し込んでいた希望の光が一気に遮断されるような体験だった。

「僕はうまくいったらどうするか考えていたんだ。でも現実に待っていたのはタフな日々だった。夢が叶うまであと一歩のところまで近づいたのに、突然足場がなくなって真っ逆さまに落ちて、また一からやり直しになるんだ」

最も辛かったのは、不慣れな土地にいることでも、正反対の文化と衝突することでも、見知らぬ人々と過ごす日々でもなく、それまで経験したことのないサッカーと直面したことだった。

「それまでプロのサッカーに触れたことがなかったんだ。アカデミーで学んだこともなかった。持っていたのはストリートで学んだことだけ。ボールを受けたら、それと一緒に走って、技を見せつけて相手をこてんぱんにしてゴールを奪う。それだけだった。でもトライアルでは今まで聞いたことのないことを『やってみろ』って言われたんだ! 僕にはさっぱりわからない専門用語を使ったり、全然理解できない説明をしてきたりね。『戦術なんて分からない』って言ったら、みんなからのけ者にされてしまったよ」

そんな衝撃を受けたのが、今からたった6年前のことなのだから、聞いたこちらのほうが衝撃を受けてしまう。

しかし、そんな“のけ者”はわずか6年後、シャルケでスポーツディレクターを務めるクリスティアン・ハイデル氏に「ナビは2人分のはたらきをする。あの少年は信じられないね」と言わしめるほどのプレーヤーに成長を遂げた。

最初に当時18歳だった無名のアフリカ人青年のポテンシャルを評価したのはル・マンだったが、深刻な財政難が原因で獲得には至らなかった。だが関係者の一人が“ダイヤの原石"だとして、当時FCイストルのスポーツディレクターを務めていたフレデリック・アルピノンにケイタを推薦した。スカウトによるチェックをくぐり抜けた後、トライアルが実施された。

ケイタのプレーぶりを直に見たイストル関係者が下した結論は「3年契約の提示」だった。

こうして無名のアフリカ人青年は、イストル所属のナビ・ケイタとしてプロとしての一歩を踏み出すことになる。

デビュー戦はニーム戦。1ゴール1アシストという輝かしい活躍で、チームを勝利に導いた。

「とても待ち焦がれた瞬間だったしそれまでに何度も挫折を経験していた。だからこの最初のチャンスが訪れた時、ヨーロッパでプロのサッカー選手になったことをなんとか示したかったんだ。その時、両親はまだとても心配していたからね。一日に6回も電話してきたほどだった。こっちで何が起きているか、何もかも伝えないといけなかったんだ」

そう語るケイタの顔には、優しい笑顔が浮かんでいた。

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■サディオ・マネとの出会い

ほどなくして、イストルはこの若き才能をこのまま隠し続けることはできないと悟った。ザルツブルクでグローバル・フットボール・ディレクターを務めるジェラール・ウリエが興味を示したからだ。ウリエは同じ親会社を持つライプツィヒのラルフ・ラングニックSDと協議した後、ケイタの獲得に動いた。彼がギニア代表としてマリ代表戦を戦った後の、2014年5月のことだった。

こうしてザルツブルクのいち員となったケイタだったが、「最初はプレーできなくてとてもイライラしたよ」と当時を振り返る。

「それが嫌だったし、落ち着かない時間は辛かった。でもサディオ(マネ)が言ってくれたんだ。『ブラザー、落ち着けよ。チャンスはいずれ来る。そのときにきっとお前はやれるさ』ってね。彼はあらゆる面で僕を助けてくれた。言語や友人を作ること、クラブや街を知ることとかね。そして、彼の言ったことは正しかった。一度チームに入ることができたら自分のクオリティを見せることができたんだ。それからはすべてがずっとスムーズに進むようになった」

「ザルツブルクでは選手として大きく成長できたし、たくさんのことを学んだよ。戦術面で色々なことを学べた。サディオは本当に大きな存在だったし、それは今も同じだよ! 僕にとって、彼は兄同然なんだ。彼は新しいことを学ぶことや自分自身を向上させて前進させることが好きなんだ。それは僕も同じだね。彼は僕のお手本なんだよ」

幸運にも、別の機会にマネからケイタの話を聞くことができた。彼は3歳下のケイタを「家族同然」だと話す。

「僕たちはザルツブルクでとても仲良くやっていたし、今いまも連絡を取り合っているんだ。来年、彼がここに来て、また一緒にプレーしてサポートしあうのが楽しみだよ。彼は僕に、リヴァプールについてよく尋ねてくるんだ。このクラブには才能溢れる選手と偉大な監督がいて、多くの野心で満ちている。町や人々も本当に素晴らしいから、きっと彼も我が家のように感じるはずだよ」

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■憧れのクラブへ

来年の夏、ケイタはリヴァプールのユニフォームに袖を通すことになる。もっともアンフィールドのクラブの赤いシャツに袖を通すのは、初めてのことではないようだ。

「僕が11歳か12歳くらいの時かな。友達と、チームシャツをどれにするか選んだんだ。僕がデコみたいなプレーをするからって、父にはデコって呼ばれていた。だから僕はバルセロナのシャツがいいって言ったんだ。好きなチームだったしね。でも友達全員がリヴァプールのサポーターで、僕はレッズも好きだったから、レッズのシャツに決めたんだ。今となっては信じられないよ。大人になって、本物のリヴァプールのシャツを着て、チームの一員になれるだなんてね!」

そしてサッカー仲間以上に、リヴァプールを愛していた人物がいる。

「父はレッズの大ファンなんだ。僕が物心ついたときから父はリヴァプールのことを話していたよ。僕が、レッズがどんなクラブか理解するずっと前からね。もちろん、彼らが僕に興味を持ってくれていること、来シーズンからプレーすることを伝えたら、大喜びしていたよ。彼は“イスタンブールの奇跡”やスティーブン・ジェラードのこと、その他にもビッグゲームや選手のことを話したがるんだ」

新しい挑戦……しかも周囲の人々を喜ばせる冒険なのだから、今から胸が踊らないはずはない。しかし、ケイタはまだライプツィヒでやらなければならないことがあると話す。

「僕はまだライプツィヒで成し遂げないといけないことがたくさんある。今はそれにだけ集中しているよ。このクラブは僕にとって良い場所で、ここで大きく成長することができたんだ。ザルツブルクからライプツィヒに移籍したことで上のレベルに進むことができた。昨シーズンは僕たちにとって本当に特別なものになった。素晴らしいサッカーをしてブンデスリーガで2位になったんだからね。そのおかげでCLも経験できている」

「ギニアにいた時、僕はシャビ・アロンソがCLやプレミアリーグでプレーする姿をよく見ていた。そして、昨シーズンは引退前の彼と中盤で対戦することができた。思い出すと、僕は本当に恵まれていると感じるよ。それと同時に、ここに来るまでどれだけ努力してきたか、そしてまだほんの始まりに過ぎないこともね。まだまだ満足していないし、物足りないよ」

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■故郷に戻って感じた「僕の誇り」

CAFのアフリカ年間最優秀選手にノミネートされたとき、故郷に帰る機会があった。そこで感じたのは、今までの歩みと、さらなるインスピレーションだった。

「コナクリに戻ったとき、まだたくさんの子どもたちが靴を履かずに車を避けながらストリートでサッカーをしていた。いつもギニアに戻るときは、子どもたちにスパイクを買って帰るんだ。それがどれだけの意味を持つか、分かっているからね。ギニアには高い技術と才能がたくさんある。それが僕の誇りだよ」

「僕が子どものときはデコやティティ・カマラ、パスカル・フェインドゥーノになりたいと思ったものさ。でも今は子どもたちが僕の名前が入ったシャツを着てるんだ! これほどモチベーションになることはないよ。これからも彼らに勇気を与え続けたいって思うんだ。『なんだって叶えられる』って伝えたいよ。貧乏かどうかとか、どこの生まれかなんて関係ない。犠牲を払うこと、懸命にハードワークすること、夢のために戦い続けること……。その意志さえあれば、なんだって叶えられるんだ」

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ヨーロッパのトップクラブで戦う毎日を過ごしても、初心を忘れることはない。ストリートで過ごした日々と、“新たなナビ・ケイタ”を目指す子どもたちの思いを胸に、彼はピッチで戦い続けるのだ。

そしてもちろん、今も昔も、彼の心の中心には家族がいる。

「今は母が近くにいるんだ。彼女は3カ月ごとにこっちを訪ねてきてくれるから、一緒に過ごせている。もう僕は何でもかんでも蹴ったりしないから母は叫ばなくてなったけど(笑)、今でも心の支えであることに変わりはないよ。僕は家族がいないと、ここまで来られなかった。これから何があっても、自分の原点がどこにあるのか、忘れることはない」

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