■サッカーの歴史そのもの
リオネル・メッシについては、もうあらゆることが書き尽くされたように思える。しかし選手本人がその歴史を書き進めることを止めず、私たちに新たな言葉の発見を義務付けている。メッシはフットボールの歴史そのものを動かしているのだから、しょうがないことだ。
メッシはこれまで、本当に様々な形で定義されてきた。
「メッシは犬だ」
――アルゼンチン人ジャーナリストのエルナン・カシアリは、転びもせずダイブもせず不満も言わず、ただひたすらボールとゴールだけに集中するメッシをそう形容して、私たちの心を打った。
「メッシは宇宙人だ」
――バルセロナの新聞はもう何十回もそう記して、彼の故郷が地球外であるというでっち上げを不滅のものとした。
「メッシはスポーツの中で最も確実なものだ」
――これはジャーナリスト、マルティ・パラルナウの考え。
「メッシはヤギだ」
――SNSで無限に出てくるヤギの絵文字。「GOAT(Greatest of All Time)」。
「メッシ、頼むから飽きないでくれ!」
――ピッチ上で最も分かり合えていた一人、ダニ・アウベスの願いだ。
また誇張法を使わず単純明快に説明しても、メッシという存在の凄まじさは理解できる。例えばジャーナリストのフアンマ・ロメロは『ツイッター』で「良質なストライカーは良質なゴールを決める。良質なミッドフィルダーは良質なアシストを記録する。メッシはすべてを一人でやってのける。だからベストなんだ」と記していた。
「トータル・フットボーラー」。記録にも記憶にも残る世界で一番決定的な選手。メッシはバルセロナのトップチームでデビューを果たした18歳から35歳となった現在まで、ずっと同じ存在であり続けている。そのことはキャリアの中で残してきた数字、カタールで残している数字が証明している。今回のW杯でメッシよりゴール、アシスト、ドリブル突破、チャンスメイクを記録した選手はいない。彼にとって通算5回目ワールドカップにもかかわらず、だ。
準決勝クロアチア戦のチーム3ゴール目、ヨシュコ・グヴァルディオルを翻弄した魔法のドリブルは、天才に年齢の概念がないことを示していた。今大会、大きな存在感を残したクロアチアのセンターバックはメッシよりも15歳若い。しかしレオは、まるで彼にクンビアのリズムを教え込むかのようにめまいを起こさせていたのだった。
■アルゼンチンの女神
(C)Getty Imagesメッシがワールドカップ優勝を希求してきたことは誰もが知っている。とはいえ、今の彼にこれまでのような焦燥感は見受けられない。おそらく彼は、本当の宝物がワールドカップ自体を目一杯楽しくことだと知っている。もう、次はないのだから。メッシはカタールで、あらゆる感情とともに日々を過ごしてきた。チームを引っ張る姿勢やサポーターと喜びを共有し合う様子からは精神的成熟が認められ、果てには公の場でのぶっきらぼうな口の利き方(オランダとの“戦闘”直後の「何見てるんだ馬鹿野郎」)にまで、リラックスした様子を感じさせている。
メッシが己の中に怒りを溜め込み、それが不健全な形で発現することは決して少なくなかった(メディアが彼の抱える不満を関係者伝いにキャッチしてスキャンダラスに掻き立てた)。だが、このワールドカップでは毎回試合後インタビューに応じ、語るべきことを語っている。サウジアラビアとの初戦に敗れたときには責任を背負うようにマイクの前に立ち、それ以降は勝利したときこそ慎重を期すべきと訴えてきた(まるで自分にも言い聞かせるように)。メッシが公の場でこれだけ話をするなど、以前ならば考えられなかったことだ。
批判の標的になる時期もあったメッシだが、今は自国メディア、そしてチームメートにかつてないほど守られている。ロドリゴ・デ・パウルがカウンターを阻止している、またはニコラス・オタメンディが自陣ペナルティーエリアのボールをクリアしている間、メッシはピッチを漂う。無知な人々には怠惰に歩いているようにしか見えないが、分析家たちの意見は異なる。彼はテレビゲームの操作キャラクターのようにスタミナゲージをためながら、決定的なプレーを見せられるスペースとタイミングを探しているのだ。自分しかできないプレーの効果を最大化するために。
結局、アルゼンチンというチームは“メッシのため”ではなく“メッシによって”プレーしている。その二つの違いは大きい。メッシはウジェーヌ・ドラクロワの“民衆を導く自由の女神”の女神なのだ。美しく、威圧感を備えて民衆を率い、民衆は銃を撃ち、攻撃を受け、泥にまみれる。レオはかすり傷ひとつないが、フランス……ではなくアルゼンチンのシンボルとして旗を高く掲げている。
■ラストメッシ
(C)Getty Imagesメッシは5回目のワールドカップで、そうした境地に至ったのだ。2006年ドイツ大会はまだ駆け出しの選手だった。2010年南アフリカ大会ではディエゴ・マラドーナの指導を受けた。2014年ブラジル大会では決勝でドイツに敗れて大きな失望を味わった。2018年ロシア大会は何もなかった……。そして2022年カタール大会、彼はこれまでのように重圧に苦しむことなく、ただひたすらにプレーする喜びを噛み締めながら一歩ずつ進んできたのだ。
おそらく、2021年夏のコパ・アメリカ優勝によって、メッシは重荷を下ろしたのだろう。決勝でブラジルを打ち破って流したあの涙が、彼を強くしたのだ。メッシは長い間、アルゼンチンのために全力でプレーしていない“ペチョ・フリオ(冷めた心)”の持ち主だと謂れのない批判を受け、一度代表から引退したこともある。しかし、あのコパ・アメリカ優勝以降、彼のことを疑うサポーターはもういない。そればかりか、タイトル獲得などを愛する条件にもしていない。今のメッシは彼らのように歌い叫び、ともに涙を流すれっきとした「私たちの一人」なのだから。
ディエゴ・マラドーナが空から見守っている今、この瞬間のメッシは本当に美しい。私たちが『ネットフリックス』でマイケル・ジョーダンの傑作ドキュメンタリー「ラストダンス」を見るまで、彼の引退から約20年の歳月を要したが、まるでリアルタイムでそんなドキュメンタリーを目にしているようだ。メッシは今、この瞬間に、間違いなく歴史をつくっている。時間を置いてから振り返る必要などはない。
この日曜日、通算7回もバロンドールを受賞した男は、ワールドカップ最多出場記録を更新する。勝とうが負けようが、その足跡は決して消えない。さあ、「ラストメッシ」である。同時代を生きていることに感謝をして、網膜に焼き付けようじゃないか。
文=ルジェー・シュリアク/Roger Xuriach(スペイン『パネンカ』誌)
翻訳=江間慎一郎